こんにちは。与那嶺です。今回は、模試についての話をしたいと思います。

最近受験生からよく来る相談で、模試の判定が悪かった、D判定やE判定だった、志望校を変えなくてはいけないのではないかと落ち込んでいるという相談がかなり多いです。

それに関して僕の見解、どう考えたら良いのかということをお伝えしたいと思います。

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動画で学ぼう!模試の受け止め方

 

模試の「判定」には意味がない

まず模試の判定について、結論を言うと僕はどうでも良いと思っています。

なぜかというと、実際A判定でも落ちている人は何人も見てきていますし、さらに言うと1位でも落ちている人は僕の友達にいました。

D判定だろうがE判定だろうが、受かる人は受かるし落ちる人は落ちます。僕も実際受験生の時にA判定を取ったことはそんなにありませんし、C判定やD判定など微妙な結果でした。

でも僕は、そもそも模試をあまりアテにしていませんでした。マーク模試だろうが記述模試だろうが、僕の場合早稲田にはあまり関係がないからです。

もちろん、良い判定が取れればよいです。取れるように勉強したら良いですし、共通テストやマーク模試で高得点を取ることを一つの目標にしても良いとは思います。

模試は実際の試験とは違う

でも実際、模試は試験本番の問題とは全然違います。確かに模試で良い点が取れて、過去問でも良い点が取れるように勉強したら良いとは思いますが、まず真っ先に最優先とするべきは自分の志望大学の過去問です。

国公立の人だったら、まずは共通テスト過去問や二次の過去問、私大だったら私立の過去問、そういったところで合格点を取ることができれば、はっきり言って模試なんてどうでもよいですね。

極論を言ってしまえば、模試でE判定、偏差値30だったり、模試で全然点数が取れなかったとしても、本番で点を取れれば何の問題もないわけです。

こういった考えを、まず大前提として持っておいた方が良いと僕は思っています。しかし、受験生はつい「判定がすべて」という風に、悪い意味で模試の判定を受け止めすぎている部分があると思います。

そもそも、試験本番に勝てばよいという考えがあるので、模試の判定が悪かろうが全く気にする必要はないと僕は思っています。実際僕も、模試の判定は全く気にしていませんでした。

大事なのは、模試を受けた後

自分の実力が発揮できたか?

それよりもまず考えなくてはいけないのは、自分が普段勉強しているものがちゃんと出せたのかどうか?ということです。

覚えたつもりのものを、本当に覚えていたのかということです。つまり点数ですね。判定結果よりも、具体的にどの題問でどのくらいの点数を取れていたのか、ということです。

自分がやっていた教材で得たもの、学んだことを模試で活かせたのか、こういうことの方が大事です。

だから、仮に良い判定が出たり、良い点数だったとしても、自分が勉強したことが活かせていなかったとしたらそれは問題として認識した方が良いです。

点数が悪くても、自分が勉強したところが点数取れていたら、それは良いことですよね。あとはペースの問題になるわけですから。

実際に何点取れたかを見よう!

なので、あやふやな判定結果よりも、実際に何点取れたのかというところをしっかり見ていった方が良いです。

例えば、数学が100点満点中60点だった時に、よくよく見ていったら満点取れていた分野や、9割取れていた分野もあるかもしれない一方で、逆に例えばベクトルの分野では0点や5点で全然点が取れていなかったとします。

こういう場合、冒頭の計算の部分から間違えてしまっているわけで、普段の自分の教材で全然覚えられていなかったということに気付けるわけです。

そこはきちんと強化しなくはいけないという方針が立って、では次の一週間ではベクトルを重点的に攻略してみよう、時間を割いていこうという風に考えられます。

だから、模試は受けた後の方が大事なんです。究極言ってしまうと、模試の判定や点数結果はどうでもよくて、そのあとどうするかということの方が大事です。

この後どういう計画でやっていくかということを考えるうえで、参考にするために模試を受けたら良いと思いますが、判定のために受けるというのは僕としては意味がないと思います。

模試の判定の受け止め方を根本的に変えるべき

僕の考えですが、模試の判定って意味が分からないし本当にどうでもいいと思うんです。でもなぜ模試の判定があるか皆さんわかりますか?

模試の判定って絶対に必要あるの?合格に必要なくない?

絶対模試に判定がなくてはいけない理由です。無いですよね。それに、判定システムがあって、今の自分の合格率はどのくらいですよ、と言ったことや、他の人に比べたらこのくらいですよ、といったことは確かにわかりますが、だから何なのか?という話ですよね。

だって、今全然合格レベルに達していなくても、今から頑張って本番で合格点取ってしまえばよいわけですから、今のレベルはどうでも良いですよね。

ここからゴボウ抜きする勉強をすればよいわけですから。今まだ上に1万人いますよ、とか、10万人いますよ、とかどうでもいいわけですよね。

判定を付ける「予備校の裏側の事情」

それなのに、なぜ判定を付けるのかということですね。僕が思うに、裏側の話になってしまいますが、模試で判定を付けてD判定やE判定など厳しめの判定を付けた場合、予備校側の視点から立てば営業しやすいわけです。

今この時期の判定結果が悪いですよ、ということは、この冬期講習とって方が良いですよ、授業数増やした方が良いですよ、というセールストークを予備校側がしやすくなるわけです。

僕は、そういう見方をしています。判定が無かったら、受験生は自分が良いのか悪いかもわからないですよね。そういう人に対して、もっと授業を取った方がよいですとか言えないですよね。

でも、A,B,C,D,Eという指標があれば、あなたはE判定です、このままではまずいですという風にわかりやすいし、言いやすいですよね。

判定があれば親でも分かる

点数だけだったらわかりにくい部分を、判定があれば親御さんにもわかりやすくなるわけです。親御さんが見たときにランク付けされていればわかりやすいですよね。

英語のマーク式で140点でした、と言っても受験の知識がない親御さんや先生、保護者の視点で言うとわかりにくいですよね。でもA~Eのランクがあれば、この子は成績が悪いんだなというのがわかりやすいわけです。そうするとセールスしやすいんです。

判定悪いとセールスしやすい

もっと授業取った方が良いですよ、冬期講習取った方が良いですよ、ということを言えます。僕は経営者やマーケティングの観点から見て、このためだけの判定システムなんじゃないかという、ねじれた考えを持っています。

マーケティングに振り回されない視点

別に、これが良い・悪いと言っているわけではなく、そういうのがあっても良いとは思っていますが、ただこれに振り回されてはいけないという考えを持っています。

そもそも判定は意味がないですよね。判定があって、勉強のモチベーション上がらないですよね。もちろんD判定やE判定が出て、そこから燃える人もいるとは思いますが、たいてい9割くらいの人は凹むと思うんです。

凹んでしまって、自分は無理だなと思ってしまうのは、判定結果に合格に必要な要素がないわけです。判定見て合格率が上がるなら、どんどん判定を気にしてくださいと言いますが、判定を気にしても基本的に前向きに捉えられる人はいないですよね。

だから僕は、模試の判定は本当にどうでもいいと思っています。点数だけ見たら良いと思っています。判定でモチベーション下がっている人、かなりいますよね。

それだったら、模試なんて受けるなという話なってしまいますが、とにかく模試の判定の受け止め方は根本的に変えたほうが良いと思っています。本当に意味がないです。

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受験も物事も「確率論」では片づけられない

僕の友達で、早大プレでトップとかを取っていたのに落ちた、A判定でも落ちた、E判定でも受かったという人はいます。そういうパターンがたくさんあります。

もちろん、A判定とかB判定の人の方が受かる確率は高いと思います。あくまで確率です。

ただ、受験に限らず物事なんでもそうですが、確率論で片付けられないです。確率とかどうでもよいわけです。

論理的に考えて「合格率を下げる人」

少し論理的に考えたい人は、「確率で~」とか、塾や予備校でも「確率が~」とか「合格率がどのくらいですか」とか聞く人がいますが、たいてい受からないです。

確率論はすべてではないし、全部ケースバイケースですよね。この勉強法だったら〇%受かるとか、確率は出せないですよね。

全部、その人の性質や性格、その人が今まで勉強してきたもの、生活環境、育ち方、学校の今までの勉強をどれだけやってきたか、いろいろな要素があって、この場合だったら合格率が〇%とある程度出せるかもしれませんが、そんなの正直わからないですよね。

あなたがE判定でした、ではそこからどのくらい合格率があるかというのは正確には算出できません。

合格率なんて分からないから面白い

僕は、それがわからないから面白いと思うし、わからなくていいと思います。わからなくても勉強できるし、わからなくても行動できる人しか上手く行かないです。

100%成功すると分かってからしか動けない人は役に立たない

100%合格できますよ、とわからないと動けない人なんて、はっきり言って社会で何の役にも立たないです。

仕事をするときに、ずっと決められたことをやるアルバイトだったら良いですが、例えば何か会社の中で新しいプロジェクトをやるときにそれが上手く行くかどうかなんて誰にもわからないわけです。

もちろん戦略や作戦を立てて成功確率を上げる努力はするべきです。でも結果はわからないです。仕事やビジネスと言っても、人と人との関係ですから、自分がいくらベストを尽くしても取引先が何かの都合でやめるとか、契約が決まらないとか、いろんな諸条件があるわけです。そのなかでベストを尽くさなくてはいけないわけです。

そう考えたら、人と人との関係より、試験勉強はもっと確実です。相手の気分は関係ないですから。これが面接だったら、もっと大変です。

自分がいくらベストな面接・スピーチをしても、例えば試験官が何となくこの人キライと思って落とされることもゼロではないです。面接とかは、完璧に客観的な数字とかで測ることができないですから。印象とかよくわからない部分が影響します。

面接よりもめちゃめちゃ公正なペーパーテスト

それよりは、ペーパーテスト、試験、大学入試や共通テストは、そういった意味である意味公正なんじゃないかなと思います。

ただ、相手の気分や感情に影響を受けない受験でさえ、判定や確率がわからないけれども突っ込める・チャレンジできる人じゃないと世の中でうまくいかないと思います。

あなたはA判定、絶対合格できますよと言われないと動けない人なんてはっきり言って使えないですから。そんな人は僕は、少なくとも社員で雇いたくないですし、そういう人と一緒に僕は仕事をしたくないです。そんなのはつまらないからです。

よくわからなくて、可能性は1%しかない、でもやろう、チャレンジしようと僕は常に思っています。もちろんこれがすべてではないですし、これが正しいとも思わないですが、僕は少なくともそういう風に思っています。

E判定からの合格の方が面白い

これを読んでいる受験生も、保証ができたら動くとか頑張るとかいう、しょうもない生き方・考え方はやめてほしいなと思います。

むしろE判定とかD判定を取って、ここから逆転した方が話がおもしろい!くらいのノリで考えていた方が良いです。

僕はそう思っていました。むしろ、良い判定取らないでおこうくらいの感じというか、頑張っているわけだからE判定だろうがD判定だろうが俺は受かる、くらいの前提でいました。

ですから、ここでE判定取ったらオイシイな、くらいの考えでした。僕は昔、偏差値38だったわけですけれども、今思えば38でよかったなと思うわけです。

僕が初めから偏差値70で早稲田受かりました、だと何にも面白くないわけです。「自分でもやれる」という勇気を誰にも与えることができないわけです。だから、自分が受かるという前提でいればよいわけです。

今11月でE判定ヤバイな、ここから受かったら面白いな、という発想をしたら良いと僕は思います。

未来から時間が流れる時間感覚に変える

現実的に考えたら受験勉強は上手く行かないです。だって、現実的に考えたら今まで勉強してこなかった、現実的に考えたら受からないでしょ、という話になってしまいます。

それは何かというと、僕がよく言っている「過去からの時間感覚」ですね。要は、幸せにならない人・不幸な人の時間感覚というのは

  • 過去こうだったから未来はこうなる
  • 過去勉強してこなかったから未来も勉強できない
  • 過去失敗したから未来も失敗するだろう

という考え方の人は何事も上手く行かないです。

そうではなくて、上手く行く人の時間感覚は「過去・現在・未来と時間が流れていく」ではなく、「未来から時間が流れてくる」なんですね。

ちょっとこれだけだとわからないと思うんですが、普通は時間は過去から未来に流れていくと思いますよね。

そうじゃなくて、まず「未来にこうなる」「受験に合格する」というのを先に決めてしまう人が、むしろ未来から時間が流れてくるような感覚で生きられる、というのが世の中で上手く行っている人や、受験勉強でいうと合格できる人なんです。

もう「受験に合格する」というのを決めてしまう、そうすると合格に必要なチャンスや出会いがどんどん舞い込んでくるわけです。

それに打ち返すことをしていくと、成績が上がっていくし、どんどん自分のチャンスが増えていきます。僕も、自分の受験の時にそうだったし、大学行ってからも、起業してからも、いろんな人にチャンスをもらったり出会いがありましたけれども、どこにも上手く行く根拠なんてなかったわけです。

うまくいく根拠なんてない

受験だって、合格する根拠なんてないわけですよね、だって合格したことないですから。僕がもう一回早稲田に受かるかと言ったら自信はありますよ。だって一回受かっているわけですから。

でも、まったくやったことがない事に対するチャレンジというのは、根拠がないわけです。もちろん、なるべく根拠になるようなものを集めて進めたら良いとは思いますが、根本的には根拠はないです。

だから、別に根拠がなくてもやれる、そういう風な考え方だったり生き方レベルで受験に取り組んでいった方が良いと思います。

そういう人が、本当に最後にワンチャンスをモノにできる、針の穴ほどのチャンスをものにできるんです。そうやって、最後まで信じて自分はこうなる・合格する・大学に行くと決めることが大事です。

もちろんひたむきに最後までちゃんと勉強して努力しないといけないと思いますが、途中課程はどうでもよくて今別に勉強ができない・成績が悪かろうが関係ない、すべてステップなんだと考えて今ここから仕切りなおしていける人が、逆転合格できる人だと思います。

まとめ

だから、模試の判定にはぜひ振り回されないでほしいと思います。本当にどうでも良いです。

どうでも良いけれども、今までの勉強どこが悪かったのか分析して、もっと反復しよう・もっと音読しよう・もっと突き詰めて考えたほうがよいな、というのは現実的な反省・改善策として、しっかりとやってください。

それを踏まえて、ここからの勉強をこういう風に変えていこうというアクションプランを練ることはぜひやってほしいですが、判定がどうかとか、将来どうなるかなんて誰にもわからないです。

わからないけれど、動く、不安だからこそ今できる万全の準備をしていく、そういう風に勉強できたらきっと上手く行くと思っています。なので、ぜひ今日から考え方を変えてもらえたらと思います。

ということで今回は、模試の判定についての動画をお届けしました。ぜひまた感想や質問があれば、コメント欄などにお願いします。

ではまた、ブログをどんどん書いていきたいと思いますので、また見て下さい。ありがとうございました。

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