まずはこちら「偏差値30からの早稲田大学 合格体験記―現役編―」 私の浪人生活は、文化構想学部の入試2月20日が終わってからすぐに始まった。 すぐに浪人生活を始めるために動き出したのである。これはとても良かったと思う。 本記事では私の浪人生活2月頃から入試の終わりまでを記録する。

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浪人が決まった瞬間から勉強をすべきだ

多くの人は学校や卒業旅行、予備校が新学期から始まることなどを理由に、4月から本格的に始める人が多い。 しかし、私はそれでは遅いと思う。少なくとも3月中にすぐに受験モードに切り替える必要があ。

  • 浪人生活の1年計画を立てること
  • 戦略を練り、情報を集めること
  • 不合格になった原因を分析し反省すること
  • 学習法を見直し改善すること

浪人での勉強を始める前にやるべきことはたくさんある。遊んでいる暇はないのだ。そんなことをせずにただ漫然と勉強しても結果は同じになるだろう。

落ちるべくして落ちたということを自覚し反省するべきところは徹底的に反省できない人間に浪人という厳しい困難は乗り越えられないと思う。 浪人は2割しか伸びないという言葉を聞いたことがあるだろうか?この言葉の意味や理由をよく考えてほしい。

2月20日~3月1日までの過ごし方

話を戻す。私は東京に来ていたことを利用して、お茶の水の三省堂書店を訪れた。 沖縄の書店は小さいため参考書をアマゾンなどネットで買うことが多かったのだが、さすがは東京の書店。

圧倒的な参考書の量にかなり興奮した私は、今まで直に中身を確認することの出来なかった参考書をかたっぱしから見ていった。 参考書コーナーでゆうに3時間は滞在した私は、実際に手に取ってみて良書と判断した参考書などをプランの候補に入れてやるべき参考書などを決めていった。

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スタートダッシュできたわけ

私はクラスの友人以外に、携帯のSNSで同じ志望の受験生の人と情報交換をしていた。周りに早慶受験者がいなかったので、ネットで同志を探し情報交換をしたり励まし合ったりしていたのだ。 知り合いの東大受験者に、2か月ほぼ不眠不休で勉強し続け早稲田合格レベルまで学力を引き上げた人がいたのでその人によくアドバイスをもらっていた。

はじめはさすがに嘘と思って半信半疑で話を聞いていたのだが、やった参考書の量を見て愕然とした。世界史だけで10冊以上、英語と国語は30冊ずつはゆうに学習したというのだ。 単に効率の良い勉強とか要領がいいとかという次元ではなく、ただひたすら勉強したというような学習法とその姿勢に衝撃を受けた。

私がすぐに浪人生活を始めることが出来たのも、実はこの人物の影響なのである。 「現役時にマーチくらいは受かってないとやっぱり早慶は厳しいよ」という言葉を聞き、「浪人すれば受かるだろう」という私の考えは甘いんだ!と強く反省することが出来たのだ。 もちろんこの方は受験技術についても私以上に勉強していて、おすすめの勉強法の本や参考書なども教えてもらい、それらを読んで計画を立てていった。

習慣を変えたら生活が変わった

浪人生活を始めていく中で一番心配だったのは「自分をコントロールして勉強に向かわせることが出来るか」ということだった。 高校時代はずっと生活習慣が不規則で、部活がある日も起きられなかったらいかなかったくらいである(一応部長だったのだが…) 受験勉強を始めてからも休みの日は昼になってから起きたり、何度も朝型に変えようと努力するも挫折を繰り返したりした。

さらにゲームや漫画が家にあってそれらの誘惑にも勝つ必要があった。不安要素のオンパレードだったのである。そんな「自分は怠け人間」というパラダイムを変えたのが松原一樹氏の著作である。 氏は「いかに自分を勉強に向かわせるかが大事」と説き、そのためのコツを解説していた。

これは勉強を自分の頭の問題ではなく方法の問題である、という考えとまったく同じだった。 私は自分が怠け者であり、それが変わらないということを認めた。その上で、自分をコントロールする、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のようにうまく操れば勉強も出来るようになることが大切であると確信したのである。

それに現役時代、2~3時間ではあるがほぼ毎日勉強する習慣がついていたことも心強かった。 高校に入ってからはまったく勉強しなかった自分が、少ない時間だが勉強する習慣がついたのは大きな自信になった。 「自分を勉強にうまく向かわせ、それをなんとか続けて習慣づけすれば勉強も続けられるようになる」と考え、自己管理の方法と勉強習慣のつけ方を本などで調べていった。

特に『和田式現役合格バイブル』には大いに助けられた。3月から7月まで、何度も崩れることはあったが、私は毎朝早起きし午前中に集中して勉強して、最大で14時間、平均して8時間程度集中して勉強することが出来るようになった。 そのための方法は、本サイトで紹介しているような「勉強を始めるコツ」「コンカレントワーキング」「日曜日は休む」などの習慣である。

朝型については、私自身がだらしないこと以上に、食事生活に問題があることが分かった。 例の東大生の先輩が実践していた短眠法を参考に自分で調べたところ、朝起きられないのは前日の食事に問題があることがわかった。 私はいつも夜10時くらいに、大量の肉とご飯を食べるような生活をしていたのである。

心技「体」の「睡眠のエッセンス」でも述べたように、早起きのためには胃はからっぽにしておくことが望ましい。 私はまったく逆のことをしていた、つまり自ら質の悪い睡眠をとっていたのである。それを知った私は、「朝と昼にいっぱい食べて、夜18時以降は何も口にしない」という、どこかの女性アーティストのダイエット法のような食生活を始めた。

少し恥ずかしい話、部活をやめた後、体重が8キロほど増えたのもあって、質の良い睡眠と合わせてダイエットをしようと考えたのである。 18時以降は何も食べず、食べても最小限にとどめて24時までには寝るようにした結果、今までは休みの日だと昼にやっと目覚めていた私が、目覚ましもなしに6時から7時には起きられるようになったのである。

それも目覚めもよく、自然に起きられるのである。この習慣の改善が私の浪人生活の一番よかったところと言っても過言ではない。余談だが体重も1か月で元の体重に戻った。 毎週日曜日にテニスで激しい運動をしていたのもあるが、全体の食事量は変えず取る時間帯を変えることで体重は健康的に減らすことが出来るのである。 女の子は極端にならないように注意してやってみると良いかもしれない。

夏までの勉強

3月から4月ごろに一度共通テスト過去問英語を解いてみたところ8割近く得点できた。現役時代で英語はすっかり早稲田レベルに近いところまで来ていたのでこれは想定通りだった。 国語は古文漢文が8割、現代文が7割程度で、やはり現代文が課題であると感じていた。世界史は50点くらいだった。

3月から4月までは基礎部分の復習を行い4月からは「基礎100」などのレベルからもう一度学習しなおした。 5月の全統マーク模試では3科目で偏差値70を取るなどなかなかの成績を取ることが出来た。

ただし過去問での英語は5割程度だったので全く油断できなかった。マーク模試の結果よりも過去問でまだまだ合格点を取れないことの不安の方が大きかったのである。 私立志望者は模試ではなく常に「過去問でとれるか」を考えてほしい。

夏以降のガス欠

しかし7月の後半頃から急に勉強がうまくできなくなってきた。前半飛ばしまくったガス欠だったかもしれない。 一度勉強が出来なくなりつい自己嫌悪のスパイラルに陥ってしまい、悪い流れのまま夏休みに入ってしまった。

8月の前半にあったマーク模試では勉強していないにも関わらず8割程度得点できた。 その結果による油断のせいで、ますます勉強のやる気がなくなってしまったのである。結局8月はまったく勉強しないまま終わってしまった。

別れ

9月から切り替えよう、ということで9月に入り勉強を再び始めていった。勉強から離れていたため復習からすることにした。失われた勉強習慣もまた初めから少しずつやっていけば戻せる自信があった。 そしてそうなるはずだった。当時私には高2から付き合っていた彼女がいたのだが、その彼女との関係がうまくいかなくなってきたのである。

私から連絡はほとんどせず、勉強中は携帯も見ないためメールもあまりしなかった。 さらに、大学は東京に行くと決めていたにもかかわらず、大学進学後離れてしまうことにたいしては「なんとかなるだろう」と言って真剣に話すことを避けていたのである。 うまく行かなくなって当然である。

正直受験勉強で精一杯で、彼女のことまで気に掛ける余裕が当時の私にはなかったのである。 受験勉強に気がいきすぎて、本当に大切なものは何なのかと言うことを見失っていた。 結局、10月の初めに彼女に振られた私は心にぽっかり穴が開いたようになり、勉強を続けることが出来なくなっていた。

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別れ話をされてから初めて彼女のことが本当に好きであったこと、大切な存在であったことに気付いたのである。徐々に取り戻していた勉強習慣は崩壊し、また堕落した生活がしばらく続いた。 一長いこと考えた結論として、とにかく大学受験は最後まで続けて、早稲田大学に合格してそれから考えることにした。 受験を応援してくれてきた人達にまず恩返しすることが私にとって一番大切なことだった。

再始動

10月後半、私は再び受験勉強を開始した。部屋を片付け、生活習慣を整えて少しずつ勉強をしていった。学習内容については今までの復習を中心に行った。 メインの参考書は7月まででほぼ終えていたので、それらが一通り終わらせて『情報構造で読む英語長文』『中澤の徹底長文講義』などの早慶レベルのテキストでパラグラフリーディングやリーズニングをなんとか続けていった。

11月終わりごろに早稲田文の過去問を解くと英語は8割から9割とかなりの高得点をマークできるようになっていた。泣きそうになりながらリーズニングを続けたのが報われたと思った。 国語も合格点は取れるようになっていて、前半の貯金が生きていてよかったと思ったが、世界史に関しては5割程度しか取れずにいまだに伸び悩んでいた。

12月に入る頃にはやるべき世界史の参考書が終了した。主なテキストは『実力をつける100題』『各国別世界史ノート』などである。レベル的には申し分なく、けっこう覚えられてきた。 と実感はあったのに過去問で全然得点できなかったので正直かなり焦っていた。

その次は過去問演習である。 商、政経、文、文化構想、社学、法などの過去問をかたっぱしから解いていくことで、早稲田が良く出してくる傾向や用語、テーマが徐々にわかってきた。 これは40年分解いたからわかることだが、けっこう特定の用語が学部関係なく問われたり、過去商学部で出た用語が次は社学で出る、などの傾向がわかってきたのである。

特に失点した分野、時代は『実力をつける世界史100題』の同じ範囲を復習し、また過去問を解き100題を復習する、という弱点を埋める勉強法で地道に進めていった。 おかげで30年分を解き終えるころには6割から7割となんとか合格点を取ることが出来るようになっていた。

商学部や社学はさすがに難しく7割が限界だったこれは1月頃の話である。 再始動とは言ったが、やはり浪人前半の頃のように勉強を安定して続けることが出来ず、年明けから共通テストまでは世界史の学習以外ほとんど勉強をしていない状態だった。 現役のころとは違い、共通テストは共通テスト利用のためと試験慣れのために受けることにした。

私の浪人時の受験校は共通テスト利用で明治大学の文学部、一般試験で早稲田の文化構想学部、文学部、教育学部、明治大学の国際日本学部である。 早稲田については一応文化構想学部が第一志望であったが、特に学部にこだわりはなかったので、3学部受験した後に進学先を決めようと思っていた。

共通テストは英語が思ったより取れず、国語でしくじって81%と不本意な結果になった。共通テスト利用の明治は不合格になってしまった。 個人的にだが、早稲田や慶応専願の人は共通テスト利用はあまり考えなくてもいいと思う。

というより私は早稲田以下の大学に行きたくなかったので受けたのはほとんど無駄だった 滑り止めは一般試験の方が簡単だと思う実際明治大学は非常に簡単だったので自己採点するまでもなく合格を確信できた。 共通テスト後も英国はあまり勉強出来ず世界史ばかり勉強していた。

この頃になってやっと世界史が好きになったのが災いして、世界史ばかり勉強するようになったのである。 英国は過去問ばかりやって復習が出来なかったのが痛い。おかげで早稲田の試験では本来の得意科目である英国で大きく足を引っ張る結果となる。

試験と合否

2月に入りいよいよ一般入試が始まった。明治大学の国際日本学部は事前に解いた過去問でも9割程度得点できていたし、本番でもほぼ9割近く得点し合格することが出来た。 早稲田の第1戦である文化構想学部だが、この頃には英語と国語がかなり学力が落ちていて思ったより取れず、世界史だけが8割くらいの高得点という結果に終わった。

自己採点の結果では前年の合格最低点より3点ほど足りない。出来を考えても落ちたと思った。文学部でも同じような感じで英国がイマイチの結果に終わった。 自己採点ではぎりぎり合格最低点を取ったが、試験の難易度によって合格点は変わるし、手ごたえもなかったのでこれも落ちたと思った。

最後の試験は教育学部である。試験日の間もあまり勉強することが出来ずにいた私はどんどん英国の力が落ちているのが実感できた。教育学部がまさに最後のチャンス。 試験日の前の日はなんとか英語と国語の復習を行い、過去問を解きなおしてシュミレーションを行った。

そして当日。英語がかなり難しく手ごたえを感じなかったが、国語と世界史で程度手ごたえを感じることが出来た。世界史は自己採点で9割近かった。 試験を重ねるごとに問題や試験の雰囲気に慣れ、手ごたえも増して言ったのだが、過去問演習と本番の雰囲気の中で集中してのシュミレーション不足を痛感した。

試験が終わり、合格発表の日が来た。文化構想学部は不合格。電話で、機械的な音声でそう告げられる。そして終わり。 なんともあっさり、味気ないである。文構は手ごたえがなかったのであまりショックはなかった。文学部の合格発表の日が来た。この時には沖縄に帰っていたので自宅で電話を聞いた。

「あなたは補欠合格です」「えっ???」よくわからずに3回かけ直し聞いた。補欠合格と言う珍しいケースに自分がなったようだ。 たしかに例年の合格最低点だったから、運が良ければ合格できる。安心は全然できなかった。しかし、文学部よりも手ごたえを感じることが出来た教育学部の合格発表に期待を持てた。

自己採点も合格ラインはギリギリ超えていた。そしていよいよ教育学部合格発表。運命の日である。あんまり関係のない話だが、私はこの日、後輩の女の子と映画「アバタ―」を見る約束をしていた。 自分の進路が決まるという日になんともバカな男である。

今思えば合格発表のプレッシャーを和らげるために無意識のうちにそういう行動をとったのかもしれない…。 比較的仲の良かった後輩でデートというか単に遊びに行くというだけのことだが。 それはともかくとして、合格発表の電話である。発表開始の時刻とともに電話をかける。 しかし一瞬身震いして途中で電話を切る。

思った以上に緊張していたようである。少し深呼吸して、もう一度電話をかけ、受験番号などを入力する。 顔が熱くなってきて、心臓の鼓動が体全体に響いてきた。呼吸もしづらくなった気がする。落ちたらどうしよう? 明治大学に進学するのでは絶対満足できない。

落ちたら両親になんて言おう?2浪になったらさすがに大変だろうな…。 バイトしなきゃいけないかな。というか落ちたら受験なんてやめて地元の大学を目指しつつ彼女とヨリを戻せるように頑張ろうかな。 「おめでとうございます。合格です」 瞬間、「よっっっっし!!!!ぃいよっし!!」誰もいない家で叫んだ。

テニスをしている時でもなかなか見せないガッツポーズを、一人で決めた。少し痛いくらいに大きく決めた。しかしそんなことは気にしない。喜びでいっぱいだからである。 まずは母親と父親に電話し合格の報告をした。そしておばぁとおばさん、兄姉と親友などに一通り電話する。

もう完全に有頂天である。ただ今だけはそれもいいかな。 しばらく経った後、大事なことに気が付いた。そうだ。12時からデートの約束をしているんだった。いまは11時半…「やばい!」合格の喜びをすっかり忘れ、急いで家を飛び出し待ち合わせの場所に向かう。

後輩の女の子もその年に受験で合格が決まったということで、2人で合格を祝い合って、映画を見たりショッピングしたりして楽しい1日を過ごした。 家に帰ってくると、デートで忘れていた「合格した」という実感がやっと湧いてきた。「おれ、受かったんだ…」少しアホな話であるが、デートを挟んでやっと合格が実感できたのである。

友達やお世話になった人にそれぞれ合格報告、数日して母校に行き、浪人中よく話をした先生に合格報告、元担任と部活の顧問にも報告しに行った。 もちろん、彼女にも報告をした。合格を告げた瞬間、自分のことのように喜んでくれたのが私も本当に嬉しかった。 家族、彼女、友人、受験仲間に恩返しをすることが出来た。

そのことが、合格したということよりも何倍も嬉しかったのである。 周りの人の支えがなければ私は決して早稲田になど合格することは出来なかったと思う。あなたも、自分一人だけで受験勉強が出来ていると思わないでほしい。 あなたを支えてくれている人が必ずいるはずである。感謝の気持ちを忘れてはならない。

人は自分のためだけではなく、人のために頑張ることで驚くくらいの成果をあげることが出来るのだ。 このことを覚えていてほしい。毎日お父さんお母さんにありがとうと言おう。 これにて私の受験体験記を終了します。 稚拙な文章を読んでくださりありがとうございます。あなたの受験に少しでも役立つことになれば幸いです。

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